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自然の声。
- イトウ ヤスフミ
- 2014年9月9日
- 読了時間: 2分
昨日は中秋の名月。子どもたちを寝かしつけて、妻と2人で焚火を前に "月見で一杯"。
子育てに対する方向性を話し合う良い時間となった。
お互いに感じている子育てに対する意見を出し合い、ブレなく同じ方向に子どもたちを指示できるように意見を擦り合せていく。
まだ子どもたちが小さい頃(0〜3歳頃まで)は、父母ともただただ一生懸命に必死に子どもと向き合い、褒めたり、怒ったり、教えたり、子どものためはもちろん、自分たちが良い親になろうとする意識が強かったのかもしれない。(僕は確実にそういう意識があった)
しかし、親というものは子どもたちからこそ学び、共に成長していくもの。
少しずつ、子どもたちが自立心を芽生えはじめてきた今は、全てにまで口を出さず子どもたち自身に考えることをさせたり、時には失敗させたり、失敗した後は嫌な思いをして、次にどうしたら良いのか考えさせる。
考えた通り成功できたら、その時はたくさん褒めてあげる。
我々親のためではなく、本当に「子どもたちのための子育て」に少しずつ変わってきている気がした。
焚火を前にすると不思議なことに、普段なかなか話さないこともポツリポツリと言葉として相手に伝えられる。
まったく不思議なもんだ。
空気が澄んで、辺りにはススキを目にするようになり、もう間もなく葉は赤や黄に色づきはじめる。
少しだけ切なさを心に感じたならば、焚火を囲んで心と会話に灯をともし、お互いの距離を縮める時間にするというのはいかがでしょうか。
焚火を起こし煙が上がるということは、何かが始まる合図なのかもしれない。
今日も一日を大切に。