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特集記事

未来は僕らの手の中


ペグワークス事務所

 タイトルの「未来は僕らの手の中」は、小学校から中学校にかけて好きだったバンドの曲名である。1980年生まれの僕は、彷徨の時期によく聴いていた音楽や、観ていた映画が今でも大好きだ。もちろん最近の音楽もよく聴いているし、新作映画は欠かさずにチェックしている。ただ、今ではすっかりサブスクの虜。映画雑誌を読み漁ることもなくなったし、レコード店で視聴しまくったり、ジャケ買いをすることもなくなってしまった。いつからかジャンルもすっかり問わなくなり、頑なに守り続けてきたこだわりなど、疾うの昔に消え去ってしまっていた。 

 

 生まれて初めて親元を離れたのは高校生の頃。パンクやロック、ヒップホップなどを主に聴いていた僕は、スケートボードを中心にストリート起源のカルチャーにどっぷりと浸かり始めていくことになる。まったく、キッズなんて観るんじゃなかったよ。(映画KIDS/キッズ。写真家ラリー・クラーク監督の1995年アメリカ映画。 NYのストリートキッズの生態を、ドキュメンタリータッチで描いた青春映画。)当時、僕の住んでいた街は、中心部にスケボーパークがあったし、ショップも近くにあってスケーターにとっては天国だったと思う。 そんな僕も、友達を迎えに行ってはパークまでプッシュした。なにせ携帯電話が普及する少し前の時代、ノックの音が休日のはじまりの合図だったのだ。 

 

 下宿には玄関先にピンク電話が一台。同じ屋根の下に住んでいる全員が、このピンク電話を頼りにしていた。 電話が鳴ると、そのベルの音はどの部屋に居ても聞こえ、部屋にいる全員が自分にかかってきた電話かもしれないと、電話をとった誰かが自分の名前を呼ぶのを耳を澄まして待つのであった。 

 

 パー券と称してクラスで配った紙切れに、その頃の青春の全てが詰まっていたに違いない。その日、僕の部屋には十数人もの仲間が集っていた。もちろん酒も煙草もやった。大家もその辺は多めにみてくれていたし、SNSで拡散される心配のない大雑把な時代だった。 

 

 専門学校の頃、音楽のジャンルについて少しだけ調べてみたことがあった。面白いことに全ての音楽はどこかで枝分かれし、なんとそのほとんどが繋がっているではないか。当時はネット環境がなかったため、神保町の古本屋などで買い漁った情報でしか得られなかったが、当時の無恥な僕にとっては驚くべき事実であった。そんな僕がジャズやボサノヴァの魅力に気づくのは10年も後の話である。好きな音楽が変わり、好きな人のタイプも変わり、何が自分にとって正しいのかを少しずつ理解し始める。それは昔に比べて面白みのない人生なのかもしれない。しかし、ひとつずつ答えを導き出していくのは、その全ての経験があるからこそだと思う。季節が変わりゆく様に、当たり前に毎日が過ぎてゆくとしても、その答えは間違いなく未来の僕らの手の中にあるのだ。


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